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家系図の題のそばに、家紋を入れたい。けれど、わが家の家紋が何なのか、よくわからない。そんな方は少なくありません。家紋は、普段の暮らしではあまり目にしなくなりましたが、家の中を探すと、思わぬところに残っています。このページでは、家紋の見つけ方と、名前の確かめ方を、順にまとめました。
先にお答えすると
・家紋は、お墓の墓石、紋付きの着物、仏壇や提灯に入っていることが多いです。
・見つからなければ、親や本家、親族にたずねます。
・形がわかったら、図書館の家紋の事典で、正しい名前を確かめます。
わが家の家紋の調べ方はこのすぐ下から、家紋の歴史と、織田信長や徳川家康など武将の家紋は後半にまとめています。
家紋は、次のような所に入っていることが多いです。わかったら、写真に撮っておきましょう。
お墓の墓石
いちばん見つけやすい手がかりです。墓石の正面の上のほうや、花立て、水鉢(水を入れるくぼみ)などに、家紋が彫られていることがあります。墓誌や戒名の読み方は、「お墓と過去帳で先祖を調べる」にまとめています。
紋付きの着物
喪服や黒留袖、男性の紋付き羽織には、家紋が白く染めぬかれています。いちばん改まった着物は、背中、両袖の後ろ、両胸の五か所に紋が入ります。たんすの奥に、祖父母の着物が残っていないか見てみましょう。
仏壇と仏具、盆提灯
仏壇の扉や引き出し、仏具、お盆に飾る提灯に、家紋が入っていることがあります。
古い道具や写真
漆塗りのお椀やお膳、重箱、風呂敷、たんすの金具などに入っていることもあります。古い写真に、紋付きの着物を着た先祖が写っていれば、胸の紋が手がかりになります。
どこか一か所で見つかったら、ほかの所の紋と見比べてみましょう。同じ形なら、その家の家紋と考えてよいでしょう。
家の中に手がかりがないときは、親や祖父母、本家、おじ・おばにたずねます。
形がわかっても、家紋の正しい名前がわからないことがあります。似た形の家紋がたくさんあるので、名前は事典で確かめましょう。家紋は、よく使われるものだけで数百、形を少し変えたものまで入れると数千にのぼるとされます。
図書館では、家紋の本は「288.6」という番号の棚に、名字の本は「288.1」の棚に並んでいます。家紋の本は、図書館の蔵書検索で「家紋」と入れても探せます。
形や種類から引く事典
『日本家紋総鑑』『新集家紋大全』『家紋の事典』『日本家紋大事典』などです。家紋が、植物の紋、動物の紋、道具の紋のように分けて並んでいるので、形の近いものを探して、名前を確かめます。『日本家紋総鑑』には、紋の成り立ちや、どんな家が使ってきたかも書かれています。
名字から引く事典
『都道府県別 姓氏家紋大事典』『姓氏・地名・家紋総合事典』などです。県と名字から、その名字の家でよく使われてきた家紋がわかります。ただし、わが家の家紋がそれと同じとはかぎりません。
見つからないときは、図書館の窓口で「家紋の名前を調べたい」と相談してみましょう。調べものを手伝ってくれます。図書館での調べ方は、「お墓と過去帳で先祖を調べる」の図書館の補足にもまとめています。
手をつくしても、家紋がわからないこともあります。家紋は役所に届け出るものではなく、決まった登録の仕組みもありません。家紋がわからなくても、家系図はつくれます。
家族で話し合って、これからの家の紋を決める家もあります。江戸時代にも、人々は自分の好みで新しい紋をつくってきました。先祖を大切に思う気持ちから選んだ紋は、これからの子や孫にとって、大切な家のしるしになります。
家紋がわかったら、家系図に書き残しておきましょう。何十年もたつと、着物も道具も手放され、家紋がわからなくなりがちです。
家紋は、それぞれの家が代々使ってきた、家のしるしです。丸の中に植物や道具などを図にしたものが多く、「丸に三つ柏」「下り藤」のように、一つひとつに名前があります。家の紋章を代々受けついできた国は、ヨーロッパの貴族の社会のほかには、日本だけだと言われます。
家紋は、はじめから家のしるしだったわけではありません。千年ほどのあいだに、公家の好みの文様から、武士の旗じるし、町や村の人々の紋付きへと、少しずつ形を変えてきました。
平安時代 公家の牛車の文様から
家紋の始まりは、平安時代の中ごろ、11世紀のはじめごろとされます。都の公家たちは、自分の牛車や衣服、身のまわりの道具に、好みの文様をつけました。宮中に出入りするとき、自分の車をほかの人の車と見分けるためでもあったと考えられています。
昔からのならわしを大切にする公家は、父や祖父の好んだ文様を、そのまま使いつづけました。こうして、文様がその家のしるしとして定まっていきました。
鎌倉時代 武士の旗じるしへ
武士の家紋の始まりは、鎌倉時代のはじめの、戦の旗につけたしるしです。一族が力を合わせて戦うとき、敵と味方を見分ける目じるしになり、一族のまとまりのしるしにもなりました。
源氏の白い旗が武家の手本とされたためか、武家の家紋は、白地に黒の一色で表すものがほとんどになりました。今の家紋が白と黒で描かれるのは、このなごりです。
室町時代・戦国時代 紋が増えていく
室町時代の中ごろには、武家の家紋を集めた『見聞諸家紋』がつくられました。今に残る、日本でいちばん古い家紋の本です。
このころから江戸時代にかけて、主君が家来に紋を与えたり、結婚によって相手の家の紋を使うようになったりして、一つの家がいくつもの紋を持つようになりました。
江戸時代 紋付きと「丸に」の紋
戦のない世になると、旗の出番はなくなり、家紋は大名行列の道具や、紋付きの着物につけられるようになりました。着物につける紋は、左右がそろった形に整えられ、多くが丸で囲まれるようになりました。「丸に三つ柏」「丸に橘」のように、丸で囲んだ家紋をよく見かけるのも、このなごりです。
本家と分家で、紋の一部を少し変えて、家の違いを表すこともありました。使うことを止められたのは、菊・桐・葵の紋や、その土地の殿さまの紋くらいで、紋付きを着る人は、好きな紋を使えました。歌舞伎の役者の紋が町で流行り、町人や村の人々にも紋が広まりました。
明治時代から今 名字とともに
明治になって、だれもが名字を名乗るようになり、紋付きの羽織袴が礼装として広まると、家紋は名字とともに、どの家にもあるものと考えられるようになりました。
戦後、和服を着ることが少なくなり、家紋を目にする機会は減りました。それでも、お墓や着物、仏壇の道具などに、今も多く残っています。
戦国時代の武将は、家紋を戦の場でかかげました。背中にさす旗や、のぼり旗(旗指物)、陣のまわりに張りめぐらす幕(陣幕)に家紋を入れ、遠くからでも、どの家の軍勢かがわかるようにしたのです。旗指物は、敵と味方を見分けるだけでなく、自分の手がらを示すしるしにもなりました。
ここからは、紋ごとに、どうして生まれたかと、その紋を使った武将や歴史の人物を紹介します。紋のはじまりは、家紋の研究の古典、沼田頼輔の『日本紋章学』(1926年)によります。
木瓜(もっこう)

はじまりもとは中国から伝わった模様で、奈良時代には役人の着物の模様に使われていました。
使った人織田信長(尾張・愛知県)。織田家の紋で、清洲城のあとからは、この紋の入った瓦が見つかっています。家来に、この紋を使うことを許した記録も残っています。
桐(五七の桐)

はじまり中国の言い伝えで、桐は、よい王が現れるときに来る鳳凰がとまる、めでたい木とされました。そこから天皇の着物の模様に使われ、家紋になりました。
使った人豊臣秀吉(尾張・愛知県)。城の瓦にまで桐の紋を入れました。秀吉の養子になった結城秀康(越前)も、この紋をもらったと伝わります。
葵

はじまり京都の賀茂神社の神事に使われてきた草で、賀茂の祭りを「葵祭」と呼ぶのもそのためです。賀茂の神さまを信じる心から生まれた紋です。
使った人徳川家康(三河・愛知県)の三つ葉葵。家康は、ほかの家がこの紋を使うことを禁じました。本多忠勝(三河)の家は立葵で、徳川家のほかに葵の紋を許された家でした。
菱・花菱

はじまり菱の模様は、奈良時代の正倉院の織物にも見られる古い模様です。それを初めて家紋にしたのは武田氏だ、とされます。武田家には、先祖が神社から授かった鎧の袖に割菱の模様があった、という言い伝えがあります。
使った人武田信玄(甲斐・山梨県)の武田菱(割菱)。武田勝頼が納めたと伝わる鎧など、武田家の当主の品には花菱の紋もついています。勝海舟(江戸・東京都)の家の紋は、丸に剣花菱でした。
竹に雀

はじまり竹は、松や梅とともに冬の寒さに負けない「歳寒三友」とされる、めでたい植物でした。竹に雀の紋は、室町時代に関東管領として力をふるった上杉氏の紋で、ほかの大名がうらやむ紋だったとされます。
使った人上杉謙信(越後・新潟県)、伊達政宗(陸奥・宮城県)、最上義光(出羽・山形県)。のちの米沢藩主の上杉家(上杉鷹山の家)にも受けつがれました。
銭(六文銭)

はじまりお金には「通宝」などめでたい字が書かれているので、銭の紋は縁起のよい紋とされました。鎌倉時代の「蒙古襲来絵巻」にも、六つの銭を並べた旗をかかげた武士が出てきます。
使った人真田家(信濃・長野県)。六文銭は真田家の旗印として知られます。真田幸村が着たという桐の紋の着物も伝わりますが、資料によって食い違い、はっきりしません。
桔梗

はじまり美濃(岐阜県)の土岐氏を代表する紋で、土岐氏の一族が広がるとともに、桔梗の紋も広まりました。その一族の一つに、明智氏があげられています。
使った人明智光秀(美濃・岐阜県)の水色桔梗。家紋はふつう白と黒ですが、色のついた、めずらしい紋として知られます。坂本龍馬(土佐・高知県)の家の紋も桔梗です。
梅鉢

はじまり「梅鉢」の名は、太鼓のばちを梅の花の形に並べたものから来た、という説があります。けれど、北野天満宮の古い絵巻にすでに梅鉢の形があることから、はじめから梅の花をかたどったもの、と考えられています。
使った人菅原道真、前田利家(加賀・石川県)。白河藩主の松平定信も梅鉢を使い、白河市の花の梅は、この紋にちなみます。
一文字に三つ星

はじまり「一」の字は、字の形がはっきりして見分けやすいうえに、「かたきなし(敵がいない)」と読めるとして、縁起のよい字とされました。
使った人毛利元就(安芸・広島県)。「一」の字の下に、丸い星を三つ並べた形です。
三つ鱗

はじまり魚の鱗のような三角形の模様から生まれた紋です。北条時政が江の島で子孫の繁栄を祈ったとき、美しい女の人が大蛇になって海に消え、あとに大きな鱗が三つ残ったので、それを旗の紋にした、という言い伝えが『太平記』にあります。
使った人北条氏(相模・神奈川県)。
藤・藤巴

はじまり奈良時代から藤の花を楽しむならわしがあり、平安時代には藤の花の宴がさかんに開かれ、着物の模様になりました。そこから家紋になり、名字に「藤」の字がつく家も、それにちなんで多く使いました。
使った人黒田官兵衛・長政(筑前・福岡県)の藤巴。藤の花房が、渦を巻くように回る形です。伊藤博文(周防・山口県)の家の紋も藤です。
柏

はじまり柏の葉は広くて厚いので、大昔は食べものを盛る器に使われ、「かしわ」の名もそこから来たとされます。神さまへのお供えの器として神事に使われつづけたので、神社に仕えた神職の家に柏の紋が多い、とされます。最初にだれが家紋にしたかは、わかりません。
使った人山内一豊(土佐・高知県)の三葉柏。渋沢栄一(武蔵)の家は丸に違い柏です。島左近(大和)は丸に三つ柏を使ったと伝わりますが、確かな記録は見つかっていません。土佐の岩崎弥太郎の家紋は三階菱で、三菱のマークは、山内家の三葉柏になぞらえてこれを変えたものと言われます。
波(立波)

はじまり波の模様は平安時代から使われていました。波は「進んで打ち、打っては退く」ので、武士にふさわしい紋として好まれました。
使った人斎藤道三(美濃・岐阜県)。山内一豊が、家来の家の立波の紋を「武家によい紋だ」と気に入り、そのかわりに柏の紋を与えた、という話も伝わっています。
井桁・橘

はじまり井桁は、名字に「井」の字がつく家が多く使った紋です。井伊家では、先祖が井戸のそばで生まれた、という言い伝えにちなむとされます。橘は、葉が一年中緑で、花も実も美しいので、昔から大切にされ、御所の紫宸殿の前にも植えられてきた木です。
使った人井伊直政(遠江・静岡県)の井桁。同じ井伊家の井伊直弼の家について、彦根城博物館では、家紋は丸に橘で、井桁は旗印だったと説明しています。
亀甲

はじまり亀の甲羅の六角形の模様で、平安時代の終わりにさかんに使われました。亀がめでたい生きものとされたことから、家紋になりました。
使った人直江兼続(越後・新潟県)の三盛亀甲花菱。六角形を三つ重ね、中に花菱を入れた形で、米沢にある兼続の墓にも、この形が使われています。
餅(黒餅)

はじまり「もち」は「持ち(たもつ)」に通じるので、昔から縁起のよいものとされました。
使った人竹中半兵衛(美濃・岐阜県)。黒くぬりつぶした丸の形です。
引両

はじまり丸の中に横の線を引いた紋で、鎌倉時代の『平家物語』にも名前が出てくる、古い紋です。
使った人足利将軍家の二つ引両。足利家の一族の最上義光(出羽)は丸に引両、今川義元(駿河)も二つ引両を使ったと伝わります。新田義貞(上野・群馬県)の大中黒(一つ引両)も、同じ仲間の紋です。
菊

はじまり菊は、中国で、飲むと長生きできる薬とされ、花の形が太陽に似ているとして「日精」とも呼ばれました。
使った人西郷隆盛(薩摩・鹿児島県)の家の、抱き菊の葉に菊。明治天皇からいただいたと言われますが、資料によって形の説明が違います。
雁金

使った人柴田勝家(尾張・越前)の二つ雁金。空を飛ぶ雁を二羽、図にした形です。この紋から、勝家は「雁金」とも呼ばれました。
鷹の羽

はじまり鷹は勇ましく強い鳥なので、その羽は武士にふさわしいしるしとされました。「蒙古襲来絵巻」にも、九州の武士の菊池氏が、鷹の羽の旗をかかげている姿がえがかれています。
使った人浅野長政(尾張)は違い鷹の羽を使ったと伝わりますが、確かな記録は見つかっていません。
文字の紋(大一大万大吉)

はじまり「大」「一」「万」「吉」は、どれもめでたい意味をもつ字で、それを組み合わせた縁起のよい紋とされます。
使った人石田三成(近江・滋賀県)。『日本紋章学』には、石田三成と伝わる肖像画(弘前市の個人の家に伝わるもの)の肩衣に、この紋がついていると書かれています。江戸時代の大名や旗本の記録では、山内氏などもこの紋を使いました。一方、滋賀県の案内では、三成の旗印と伝わるものの、江戸時代のはじめの記録には見えない、としています。
言い伝えの紋(笹竜胆・揚羽蝶)

はじまり竜胆も蝶も、平安時代から着物の模様に使われた、美しい模様でした。
使った人源頼朝の笹竜胆、平清盛の揚羽蝶がよく知られます。けれど、源氏の家紋と言われるだけで確かな証はなく、平家の蝶の紋も戦の記録には見えず、どちらも、のちの時代につけられたものとされます。
わが家の家紋が、名のある武将の家紋と同じだったとしても、その武将の子孫だとはかぎりません。同じ紋を使う家は、全国にたくさんあります。
武将たちがおさめた国が、今のどの県かは、「旧国名と今の県」の戦国武将の表で見られます。
よく見る家紋の絵と、それぞれのいわれは、姉妹サイト姓名月の「家紋の話」で見られます。
自分の家の家紋は、どうやって調べればよいですか?
まず、家の中の手がかりを見ます。お墓の墓石、紋付きの着物(喪服や留袖、羽織)、仏壇や仏具、盆提灯などに、家紋が入っていることが多いです。見つからなければ、親や本家、親族にたずねます。形がわかったら、図書館の家紋の事典で名前を確かめます。
名字から家紋はわかりますか?
名字から、その名字の家でよく使われる家紋を調べられる事典はあります。ただ、同じ名字でも家ごとに家紋が違うことは多く、名字だけでわが家の家紋は決まりません。家の中の手がかりや、親族の話で確かめましょう。
家紋から、先祖が源氏や平家だとわかりますか?
家紋だけでは決められません。江戸時代には、家柄をよく見せるため、名のある一族の家紋を使ったり、家の言い伝えをつくったりすることも多くありました。家紋は手がかりの一つとして、戸籍や過去帳などとあわせて考えましょう。
家紋がわからないときは、どうすればよいですか?
家紋は役所に届け出るものではなく、決まった登録の仕組みもありません。わからないまま家系図をつくってもかまいませんし、家族で話し合って、これからの家の紋を決めることもできます。
家紋は一つの家に一つですか?
一つとはかぎりません。武家では、表紋と替紋など、一つの家でいくつもの紋を使うことがありました。母から娘へ受けつぐ女紋のならわしがある地方もあります。
戦国武将の家紋には、どんなものがありますか?
織田信長の木瓜、豊臣秀吉の五七の桐、徳川家康の三つ葉葵、武田信玄の武田菱、上杉謙信と伊達政宗の竹に雀、真田家の六文銭、明智光秀の水色桔梗などがよく知られています。このページの後半で、紋ごとのはじまりと、使った武将を紹介しています。
戦国武将は、戦で家紋をかかげたのですか?
はい。背中にさす旗や、のぼり旗(旗指物)、陣のまわりに張る幕(陣幕)に家紋を入れ、どの家の軍勢かがわかるようにしました。家紋とは別に、武田信玄の「風林火山」の軍旗や、豊臣秀吉の千成瓢箪の馬印のような、戦のための印も使われました。
参考にした資料